诗与死

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【萩原朔太郎】《吠月》序文(二)/《月に吠える》序

我时不时地思考着不幸的狂犬病人的事情。

据说得了那种病的人会非常害怕水。哪怕是茶杯盛着的一杯水也会窒息一般的恐怖,无论如何我们也无法想象得到。

“你为什么理由而害怕水?”“你出于什么机理而害怕水?”这些心理,对于我们来说只是万千不可思议之物其一。然而对于患者来说那就是比任何东西都真实的事实。并且在这种情况下如果患者自己……迫于他的某种需要……想要试着向旁人说明这种痛苦的实感的话(那似乎是很有可能存在的情况。假如旁人在缺乏对这种病的特殊知识的情况下说不定会对他进行残忍的恶作剧。考虑到这种情况我战栗不已。)患者自己应该采取怎样的手段呢。恐怕不管用什么样的语言来说明,这种奇异的感情也很难表现吧。

但是,如果他有做诗人的才能的话,他当然会写诗。诗可以说明人类的语言说明不了之物。诗是语言之上的语言。

 

私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。
あの病気にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コップに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。
『どういふわけで水が恐ろしい?』『どういふ工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我々にとつては只々不可思議千万のものといふの外はない。けれどもあの患者にとつてはそれが何よりも真実な事実なのである。そして此の場合に若しその患者自身が……何等かの必要に迫られて……この苦しい実感を傍人に向つて説明しようと試みるならば(それはずゐぶん有りさうに思はれることだ。もし傍人がこの病気について特種の智識をもたなかつた場合には彼に対してどんな惨酷な悪戯が行はれないとも限らない。こんな場合を考へると私は戦慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであらう。恐らくはどのやうな言葉の説明を以てしても、この奇異な感情を表現することは出来ないであらう。
けれども、若し彼に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である。

狂犬病患者的例子是极端特异的例子。然而同时也是极端普遍的例子。

人类存在着各不相同的肉体与各不相同的神经。我的悲哀并非他者的悲哀。他者的喜悦并非我的喜悦。

每一个人,都是永远的、永远的、可怖的孤独。

从原始世界起,神创造了几亿万人。但是完全是同样面孔的人,绝不会造出第二个。不论是谁都必须以单位出生,永远地以单位死去。

尽管如此,我们又绝不是独自地被切割开的宇宙的单位。

我们的脸,我们的肤色,因人而异。但是,实际上每个人都有同一之处。这种共通在人类同类之间发现的时候,人类间的“道德”和“爱”就产生了。这种共通在人类与植物之间发现的时候,自然间的“道德”和“爱”就产生了。因此我们亦并非永远的孤独。

 

狂水病者の例は極めて特異の例である。けれどもまた同時に極めてありふれた例でもある。
人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人ではいつも永久に永久に恐ろしい孤独である
原始以来、神は幾億万人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。
とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。
我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。

我的这具肉体与这份感情,当然是世界中仅由我一人所有的。而且能够完全理解它的人也仅有一人。这是拥有着极其极其特异的性质的东西。但是同时,它也必定是世界中无数的人共通的东西。这个特异又共通的个别的感情的焦点上,就有诗歌真正的“喜悦”与“秘密性”存在。离开了这个道理,我便不知自己作的诗是何意义。

 

私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界中の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。

 

诗是于一瞬间灵智的产物。平时就存在的某种感情,接触到了电流体一般的东西才突然发现了韵律。这种电流体对于诗人来说是种奇迹。诗不应是按照预期创作的东西。

 

詩は一瞬間に於ける霊智の産物である。ふだんにもつてゐる所のある種の感情が、電流体の如きものに触れて始めてリズムを発見する。この電流体は詩人にとつては奇蹟である。詩は予期して作らるべき者ではない。

 

从前,我觉得诗是种神秘的东西。是如同某种灵妙的宇宙圣灵与人类的睿智灵交作用的产物。抑或是如同解开不可思议的自然之谜的钥匙。可是现在想来,那是可笑的迷信。

诗绝非那般奇怪的鬼魂般的东西,它其实是如同我们亲密的兄妹或情人之类的东西。

我们时不时地,怀着一颗如同不成器的孩子一般的可怜的心,在房间阴暗的角落里抽泣。在那时,有一位把坚实的肩膀借我依靠,将温柔的手放在我颤抖的心脏上的少女。那位护士便是诗。

我想到诗的时候,就会感到强烈的人类的苦恼喜悦

诗既非神秘亦非象征也非鬼魂。诗仅仅是,患病的灵魂的所有者与孤独者的寂寞的慰藉。

想到诗的时候,我为人情的可怜可爱而情不自禁地热泪盈眶。

 

以前、私は詩といふものを神秘のやうに考へて居た。ある霊妙な宇宙の聖霊と人間の叡智との交霊作用のやうにも考へて居た。或はまた不可思議な自然の謎を解くための鍵のやうにも思つて居た。併し今から思ふと、それは笑ふべき迷信であつた。
詩とは、決してそんな奇怪な鬼のやうなものではなく、実は却つて我々とは親しみ易い兄妹や愛人のやうなものである。
私どもは時々、不具な子供のやうないぢらしい心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。さういふ時、ぴつたりと肩により添ひながら、ふるへる自分の心臓の上に、やさしい手をおいてくれる乙女がある。その看護婦の乙女が詩である。
私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる。
詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。
詩を思ふとき、私は人情のいぢらしさに自然と涙ぐましくなる。

 

过去对于我来说是苦痛的回忆。过去是焦躁与无为与烦恼的心境的不吉的噩梦。

对月而吠的狗,是因为怀疑并恐惧自己的影子而吠叫的。在患病的狗的心中,月是如同青白色的幽灵一般不吉的谜。狗对着它狂吠。

我想把我自己阴郁的影子,钉死在月夜的地上。为了让影子,永远地不要追随我的背后而来。

 

過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。

 

 

萩原朔太郎


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